大黒屋光太夫と言う名前をご存知だろうか?
江戸時代後期、現在の三重県鈴鹿市生まれの船乗りです。
1782年に鈴鹿から江戸へ向かう途中
回船が漂流してアリューシャン列島の
アムチトカ島に漂着しました。
15名の船員が苦難の日々を過ごし
約10年ロシアに滞在して日本に帰国したのは
大黒屋光太夫と他2名だけでした。
大黒屋光太夫は単なる船乗りでしたが
10年間のロシア滞在でロシア語をマスターします。
彼は船乗りでしたが、すべての見聞をメモし
コツコツとロシア語を習得して行きます。
学校で習うでもなく、教科書がある訳ではありません。
まさしくロシア人との対話の中で
少しずつロシア語の単語をメモしながら
実践形式で習得して行きました。
語学の習得はどの言語でも
大黒屋光太夫の実践形式の努力は
生きた言語を身につけるために
大いに参考にすべき苦節10年です。
大黒屋光太夫は、1791年エカテリーナ2世に謁見し
日本帰国への許可を得ています。
エカテリーナ2世ともロシア語で会話し
サンクトペテルブルグの郭でも人気者だったようです。
学問としてではなく実用言語として
江戸時代の船乗りがロシア語を
マスターできたことは
彼の努力や人間性も相俟って
言語習得のひとつのヒントにもなります。
大黒屋光太夫のロシアでの10年間の話を
ちょっと読んでみるのも面白いかも知れません。